ホームの母のそばにいて、母が眠ると、
私はストレッチや、腕をぐるぐる回したり、
何かしら、体を動かして、せわしなくしていることが多いです。
そんなとき、母が目覚めて、手やら足やらをバタバタ動かしている私に気付くと、
「じっとしときなさい」
と、昔とおんなじ感じで、一喝されます。
しかし、きょうは違っていました。
調子が良いのか、口数が多めで、
「あんたが幼稚園に行きようとき、参観日に行くと、きょろきょろしていて、
『落ち着きがないですね』と先生に言われた」と。
「そして、『けれども、聞いたことには、ちゃんと答えられますよ』とも
言われて。まあ、いいかとそのとき思った」
なになに・・・?そのときには、落ち着きがない私を、容認した?
でも、「じっとしときなさい」は、その後ずーっと、母が私に言って来た言葉です。
しかし、きょうはまた、
「あんたはいいね、いつでも自由に、好きなようにして」と、つぶやいたのです。
これには、母の葛藤があるのかもしれません。
子どものころ厳しいしつけを受け、その後母は公務員になって、
「ちゃんとしておかないと」と、いろいろ我慢して、生きてきたのかもしれない。
80年生きてきた今、それが、しんどかったなー、と改めて、感じているのかも。
なんてことを、思いました。
戦前、戦中、戦後といろんな道徳や、世間体、体裁にとらわれて、
生きてきた母たち世代の人に、ある意味尊敬を感じます。
戦後の高度成長期に生まれ、のびのびと自由な時代の空気を吸って、
家でも、比較的厳しくなく育てられた自分と弟を、ありがたく思います。