介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

退院直後、余裕のない日々

母が5月3日に帰ってきて、4日、5日と、まあ、入院前に近い感じで、

過ごすことができました。

 

しかし。

5月6日の夜、実家の父から電話があり、

母の脈が上がっている、汗もずっとかいていて3回も着替えたと、

報告がありました。

 

不安そうな父。

実家に様子を見にいくことに。

ベッドにいる母は、もうろうとしていて、脈は50くらいから120台を

行ったり来たりしていました。

 

大丈夫なのか・・・!?

あの、脳梗塞になったときの恐怖がよみがえります。

 

あの時に、できなくなっていたのが、声を出すことと、まばたきです。

それができるかどうか、試してみました。

 

声はなんとか、あー、うー、みたいな感じだけど、出すことができました。

しかし、まぶたが開かない。。。

ほんとに、恐怖です。

これが、どういった状態を意味するのか、解決できないまま。

 

しばらくして、暗い中神社にお参りにいってきた夫が、実家にきてくれました。

母に会って見舞ってくれ、父も私も心強く思えました。

その後、夫には、自宅に戻ってもらって。

私は、母の部屋にとまりその夜を過ごしました。

 

夜中に、トイレに行く習慣がある私は、その都度、母の様子を見ます。

酸素は変わらず95%前後、脈は、100前後を変動しています。

大丈夫かと、 そのまま、眠りました。

 

寝ていると、母が目を覚まして、「起きるー」と言ったタイミングが

何回かありました。

いつもならば、「まだ夜やけん、寝よ」と言って、スルーするのですが、

この日は、母の要求に沿い、体を起こしてベッドに座らせました。

 

脈は、120台くらいだったような。

「起きる」と言ったのは、しんどくて寝られなかったからなんだろうな。

 

今までもそうだったかもしれないけれど。

ずっとスルーしてて悪かったなと反省。

「起きる」と母が言うときは、いたずらに目が覚めるだけでない

しんどいとか、何らかの不調がある場合も多いのだと思います。

 

なんとか夜を過ぎ、朝になりました。

まだ、脈は上下しているけれど、声は出るし、まぶたも開けることができました。

ちょっとほっとしました。

 

こういったサインを頼りに、母の異変を察知していかなければ。

訪問看護の看護師さんも、父や私に、脳梗塞のチェック項目など、

いろいろ教えてくださるとのこと。

見守りから、一歩進んでいかないといけないという、

入院前と違う気持ちが、父にも私にも出てきました。