介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

きょうの歌は「知床旅情」

きょうもまた、平和に過ぎた木曜日でした。

 

ホームには、12時半頃着。

デイサービスの終了時間まで、スタッフの方にマッサージをしてもらったあと、

母と部屋に戻りました。

 

いつものように、最初15〜30分は、深い睡眠に入りますが、

その後目覚めて、車いすにのったり、飲み物を飲み込む練習をしたりいろいろします。

 

きょうの飲み込みの練習は、二口三口で、「もういらん」と言い、続かず。

じゃぁ、と、ハーモニカを吹きました。

 

まずは、ヴォルガの舟歌から。

そしてきょうは、「知床旅情」を吹きました。

 

この曲は、私が子どもの頃父や母がよく歌っていた曲。

北海道東部の知床岬のことを歌った歌で、

1960年代に、森繁久彌さんが作詞作曲して、歌ったのだそう。

私が知っているのは、加藤登紀子さんの歌っているやつ。

こちらは、1970年にリリースされています。

「飲んでさわーいーで、丘に登れば〜・・・」という歌詞が、子どもの私に、

酔っぱらいの馬鹿な大人!のように思え、そのくせちょっと魅力的でもありました。

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知床半島観光協会から画像をお借りしました

 

14時を過ぎ、父もやってきて合流し、私がハーモニカ、父母が歌うかたちに。

最後の歌詞が、父も母も思い出せず、

「はるか国後に・・・」で止まってしまいました。

 

しばらくして母が、

・・・の部分を「お船が浮かぶ」と締めてみましたが、

父が笑って、「それべつの曲の歌詞やん」と。

私がネットで調べると、「はるか国後に白夜はあける」でした。

一件落着。

 

しかしまぁ、北方領土の島が、歌詞になるとは。

そういえば、加藤登紀子さんは、社会派のシンガーだったな。


50年も昔の話。

父母は30代で、私はもう生まれていたんですが。。時代を感じるなあと思いつつ、

つい最近「国後島を戦争で取り戻す」と言った政治家がいて、

国後島は今も、複雑な思いを抱かせる北方領土の島です。。。