介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

リビングで栄養注入

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きょうは日曜日。

雨が降ったり、かーっと晴れたり、不思議なお天気です。

が、一応洗濯をしました。

 

14時過ぎに、実家へ。

母は、ひとりベッドにいました。

目は覚めていて、口の中につばがたまっている様子です。

 

母の嫌いなスポンジブラシで口の中のつばをふきとりました。

嫌がったけれどつばは減ってちょっと楽になったのか、母は「起きる」と言います。

車いすに乗り、父のいるテレビのあるリビングへ。

父や母は、この部屋のことを応接間の、「応接」と言いますが。

 

ここでいつもの、「鑑定団」の番組を見ました。

それが終わって、つぎは、NHKのアニメ映画を見始めました。

戦争中から戦後の広島が舞台で、若くして広島から軍港のある呉へ、

お嫁に行った女の子が主人公の話です。

 

汽車に乗ってトンネルに入れば、すすで顔が黒くなり、

食事をつくるには配給の食料を受けとって、そのわずかな食料で

料理して、みんなで分け合って食べるシーンがあり、

その辺が、母の小さな頃と似ていたようで、とても熱心に見入っていました。

 

せっかく見ているのを中断させるのも悪いので、

「栄養の時間やけど。テレビを見るなら、ここで注入する?」

と母に尋ねると、うなづいたので、こちらに栄養や薬を持ってきて、

注入を始めました。

30分くらいたったら、母は「寝たい」と言いました。

「え、でもこの車いすに乗った体勢で、注入をしよるよ。続けよう」

と言っても、母は聞き入れません。

 

しかたがないので、前に一度やったことのある、注入チューブをつけたまま、

体勢をできるだけ変えずに、車いすからベッドに移ることにしました。

父と私とで、母を抱え、せーので、ベッドに移しました。

おもーい!!

45キロぐらいある母を、抱えるのは、一苦労。

なんとか、注入のチューブを入れたまま、最小限の動きで移乗に成功しました。

 

ベッドに移ると母は、すやすやと眠り始めました。

注入は無事に終わり、眠っている母に「じゃあ、帰るね。またあした」というと、

「まっとるよ」という返事を。

なんだ、しゃんとしとるな。