介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

言語リハビリmonday

月曜日の昼は、言語聴覚士の先生のリハビリ。

 

土日をぐだぐだと過ごした後の週明けは、メリハリの効いた

時間割で週が動き出します。

 

この日は、母はいい調子。

トークも弾み、リハビリのラストは、

「自分は戦争のことを知らないので、戦争当時の話をきかせてください」と、

先生は母に言われました。

 

とくに話出さない母に「食事はどうだったんですか?」と聞かれ、母は、

「漬けもんと、ごはん」と返答。

「えー?そうなんですね」。

きっと麦とかあわとか食べて、さぞ大変な思いをされただろうと、

先生は推測されていたのだと。

母の返事は、拍子抜けです。

 

農家に生まれ、山あいの斜面に住んでいた母は、

食べ物の苦労も、空襲の苦労も経験していない様子。

 

昔聞いた話では、近所に関東から親子が疎開してきていたそう。

その親子と母の一家は、親しくしていて、食べ物を分けたり、

母は一緒に登校したりと、日常を過ごしていたという。。

 

先生のほうが、一つエピソードを話してくれました。

「神崎の山の中に住むうちの今93歳のじいちゃんが、

福岡に空襲のあった日の夜、福岡の方角の空が真っ赤に見えたと言っていました」

 

母の住まいはそこよりも福岡に近いのに、その風景を見ていないようです。

戦争に家族が行ったわけでもなく、

戦争のために心に傷となったことが、これといってない様子。

喜ぶべきことですな。