介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

ほかの職業に就くとしたら・・

先日、父が、母にきた年賀状の文章を、一枚ずつ読み上げていました。

 

その都度、「この人は何しよった人?」と、どんな仕事をしてきた人かを、

母に聞きます。

 

それを隣で聞きつつ、父母が、もし、就いていた仕事以外に、

職業を選ぶならなんだろう?と思い、聞いてみました。

 

父は、「エンジニア」と答えました。

「ラジオを分解して、またつくるのが楽しかったけん、

そういう電気製品をつくったり、工場でチェックしたりしてみたかった。

それか、山登りのガイドとか。」

 

エンジニアか。

おしゃべりなので、人と向き合う教師という今の仕事が

一番似合っているとは思うけど。

エンジニアになっていたら、高度成長期はよかったけど、

その後ITが進み、ついていくの大変になっていただろう。。

 

母は、「幼稚園の先生」と答えました。

図画工作とか好きだったから、季節行事にあわせてデコレーションをつくったり、

自然の中に子どもを連れていって遊んだり、そんなことがしたかったのかな。

 

10代で出会った「二十四の瞳」の世界にあこがれて、実際教師になった母。

自由に子どもの教育ができればと思っただろうに、

現実は、教育界は、どんどん制約が増えて、保護者も面倒な人が増えて

自由は減っていってしまった・・。

 

父母の、2つ目の職業を聞いて、時代背景を感じました。

昭和のど真ん中を生きてきた人たちですな!