介護+αの日々

進行性核上性麻痺と診断された母の介護日記+日々のこと。

母、友人と②

またまた、母と友人の話。

 

お正月の話。

母に来た年賀状は、父が母に見せて、返事を書くのは、数年前から

父の仕事です。

 

母は、手に力が思うように入らず、文字を書いても、くねくねの線にしか

ならなくなりました。

 

母に年賀状をくれる人のことを、母に聞いてから、

返事には、父が母の今の状況を、神経性の病気になり、

体に力が入らなくなり、ベッドと車いすの生活です、、みたいなことを

書いています。

 

その返事をもらった、母の友人のひとりから、電話がかかってきました。

 

小学校、中学校の同級生で、今は京都に住んでいる男性です。

 

母の通った小学校と中学校は、1学年にひとクラスしかなく、

小中の9年間、みんな同じクラスで過ごしてきました。

なので、友達というか、親戚みたいな近い間柄なんだと思います。

 

電話を取った私は、

「あの、うまくしゃべられないと思うんですが・・」と言ったのですが、

「いいです、ちょっとで」と言われ、電話を替わりました。

 

母の耳に携帯電話を当て、母は向こうの声は聞こえているようですが、

やはり、こちらから、声を発することがうまくできません。

声どころか、咳込んだりもして、途中で、私が代わり

「すみません、聞き苦しくて」と弁解しました。

 

また、落ち着いたので、母に電話を戻し、

何か一言でも発してほしいと思っていると、辛うじて

「そうですね」と、「ありがとう」は言った様子。

 

でも、もごもごしていたので、相手に聞き取れたかどうか。。

 

母には、数十年経っても、つながりのある友人があるんだなあと、

電話はありがたく思えました。。